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066 絶望という名の病

last update Last Updated: 2025-06-02 19:00:38

「これまでの苦痛は、本来大地くんが経験しなくていいものだった。これは理解出来ますか」

 淡々と語る浩正〈ひろまさ〉に、海が静かにうなずく。

「あの日、死のうとした時から服用し続けた多量の薬。それがなければ、こんな苦痛はこなかった」

「……そうですね」

「そして今、大地くんと海さん、二人が力を合わせたことで、その呪いから解放されようとしている」

 そこまで聞いて。海の中にひとつの不安がよぎった。

 浩正さんが言おうとしてること。それはもしかして……

「――体から薬が抜ける。それは即ち、大地くんをあの日の状態に戻すということなんです」

 目の前が真っ暗になった。

 どうしてそんな簡単なこと、今まで気付かなかったんだろう。

「薬によって、大地くんは思考自体を抑えつけられました。何も考えられない状態にされました。でも今、その状態が終わろうとしているんです。それはつまり、大地くんが本来持っている悩み、絶望が丸裸になって蘇るということなんです」

「そんな……」

「ひょっとしたら、以前より酷いかもしれません。薬によって封じられた思考が蘇る。ある意味、よりクリアになって彼にのしかかってくる訳ですから」

「大地は……どうなるんですか」

「分かりません。ただ……これまで僕も、色んな人を見てきました。流石に大地くんのような無茶なやり方ではありませんが、長い時間をかけて薬物依存から立ち直った人を多く見てきました。その経験上言えることは……」

「浩正さん」

 海が真っ直ぐ浩正を見つめる。

「何を言われても大丈夫です。本当のこと、話してくれませんか。私はどんなことを言われても、歩みを止めるつもりはありません」

 そう言われ、浩正は優しく微笑んだ後、口元を引き締めた。

「その後、自ら命を絶

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